2021年03月09日

広島市中心部の地名の由来

広島市中心部の地名には歴史を感じさせる由来のある地名があります。

普段全く意識しておりませんが、雑学として知っておくとちょっとした雑談に役に立つかもしれません。

■「紙屋町(かみやちょう)」
 伊予の国から移り住んだ紙商人が住んでいたことから名づけられた。傘屋や合羽屋、つり提灯屋など紙を扱う職人も多かったとされる。

■「胡町(えびすちょう)」
 町名の由来といわれる「胡神社」は郡山城城下町の守護神の分身として現在の場所に建立された。
 デパートを中心ににぎわう繁華街「えびす通り」の中央にある。

■「鉄砲町(てっぽうちょう)」
 家中鉄砲組の武士が住んでいた町。現在は広島電鉄白島線が走る「白島通り」となっているが、八丁堀町、幟町、胡町の繁華街に
囲まれた一角にその名を残している。

■「猫屋町(ねこやちょう)」
 広島城築城後、府中(現在の安芸郡府中町)から移り住んだ大商人が「猫屋」を号とする商家を構えたことから名付けられたといわれる。

■「水主町(かこまち)」
 水主とは船を操る人や船頭のこと。水主が数多く住んでいた町といわれている。現在は「加古町」と表記し、「広島市文化交流会館」、「JMSアステールプラザ」が立ち並んでいる。

■「河原町」
 瓦焼き場があり、瓦を作る職人が住んでいたとされる。現在の河原町は瓦が変化したものではないかと考えられている。


  「引用文献 ひろしま通になろう 中国新聞社刊」

現在はコロナ禍なのでビジネスで広島に来られる方も少ないのですが、出張で広島にいらっしゃるお客様のなかには色んな事にお気づきになってご質問をされる方もおられますが、なかなかうまく答えることができません。「灯台下暗し」で意外と地元のことはよく知らないものですね。


記事投稿:竹内
posted by towa at 12:15| まめちしき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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